色彩と形態が語る内的な変容:アートセラピーによる移行期支援の実践
移行期におけるクライアントの内的な変容をアート表現から読み解く
人生には、入学、就職、結婚、出産、異動、引っ越し、病気、離別、退職など、様々な移行期が存在します。これらの時期は、個人の役割、環境、自己概念が変化するため、心理的な負担が大きく、複雑な感情や内的な葛藤が生じやすいと言えます。臨床心理士として、クライアントがこれらの移行期を乗り越え、新たな平衡状態を見出すプロセスをどのように支援するかは重要な課題です。
アートセラピーは、言語化が困難な感情や内的な状態を、色や形、構図といった非言語的な方法で表現することを可能にします。特に移行期においては、先行きの不透明感、過去への愛着と喪失感、新しい自分への期待と不安などが混在し、その複雑さがアート表現に現れやすいと考えられます。クライアントが描く色彩や形態の変遷を追跡し、そこから内的な変容のプロセスを読み解くことは、臨床的洞察を深め、より的確な支援を行う上で非常に有効なアプローチとなります。
本稿では、移行期におけるアートセラピーの役割に焦点を当て、色と形の表現がどのように内的な変容を映し出すか、その理論的背景と共に、具体的な実践手法と読み取りのポイント、応用例について論じます。
移行期に生じる心理的プロセスとアート表現
移行期は、心理学的には「安定期から次の安定期への過渡的な状態」と捉えることができます。このプロセスは、一般的に以下のような段階を経るとされています(例えば、ブリッジズの移行モデルなど)。
- 終焉(Ending): 古い状況の終わりを受け入れ、手放す段階。喪失感、悲しみ、怒り、拒否などが生じやすい。
- 中立圏(Neutral Zone): 古いものが終わり、新しいものがまだ始まっていない混沌とした状態。混乱、不安、不確かさ、内省が生じやすい。
- 開始(New Beginning): 新しい状況に適応し、新たな自己概念や役割を構築していく段階。希望、期待、適応、再編成が生じやすい。
これらの各段階において、クライアントの内的な状態や感情はダイナミックに変化します。そして、その変化はしばしばアート表現の様相に影響を与えます。
- 終焉の段階: 暗い色、破裂した形、閉塞感のある構図、鋭利な線などが描かれることがあります。喪失感は色の喪失(モノトーン化)や、鮮やかな色がくすむといった形で現れるかもしれません。怒りや混乱は、激しい筆致や複数の色が混ざり合って濁るといった形で表現されることがあります。
- 中立圏の段階: 不確かさはぼやけた色彩、不明瞭な形、未完成な印象として現れることがあります。混乱は要素の散漫な配置、定まらない線や筆致で示唆されるかもしれません。内省や停滞感は、静的で動きのない表現、限定的な色彩パレットといった形で現れる可能性もあります。
- 開始の段階: 希望は明るい色調、広がりを感じさせる構図、明確な形として描かれることがあります。新しいエネルギーは、力強い線や動きのある筆致、鮮やかな色彩の出現として現れるかもしれません。再編成のプロセスは、それまでバラバラだった要素が統合される、形がより明確になる、色彩のハーモニーが生まれるといった形で示唆されることがあります。
重要なのは、これらの表現はあくまで一般的な傾向であり、個々のクライアントの経験や心理状態によって多様であることを理解することです。また、移行期は単純な線形プロセスではなく、行ったり来たりしながら進むことも多く、アート表現もその複雑さを反映します。
理論的背景:なぜアートが移行期支援に有効か
移行期におけるアートセラピーの有効性は、いくつかの心理学理論やアートセラピー理論によって裏付けられます。
- 対象関係論と喪失: 移行期、特に喪失が伴う場合(死別、離別、失職など)、クライアントは愛着対象や自己の一部の喪失を経験します。対象関係論では、内的に取り込まれた対象との関係性の再編成が重要視されます。アートワークは、失われた対象や自己の一部を象徴的に表現し、内的な世界でそれらと向き合い、再構築していくプロセスを支援します。色や形は、失われたものへの感情的な繋がりや、新しい内的世界を構築する材料となり得ます。
- 自己心理学と自己感の変容: 移行期は自己概念やアイデンティティの揺らぎを伴います。自己心理学では、自己の凝集性や活力が重要視されます。アートワークを通じて、クライアントは変化する自己のイメージを視覚化し、探求することができます。色や形、そしてそれらが描かれる過程そのものが、揺らいでいる自己感覚を表現し、再統合していくための「安全な空間」を提供します。特に、自己対象機能としてのセラピストの受容的な関わりの中でアート表現を行うことは、自己の回復を促します。
- プロセス志向のアートセラピー: アートセラピーは単に完成した作品を分析するだけでなく、創作のプロセスそのものに焦点を当てます。移行期はプロセスそのものです。クライアントが素材を選び、手を動かし、色を塗り重ね、形を作り出していく行為は、内的なエネルギーの動き、葛藤、解放、再組織化といった移行期の心理的プロセスを反映し、促進します。特に、同じテーマで繰り返しアートワークを行うことで、時間経過に伴うプロセスを視覚的に捉えることが可能になります。
- 象徴化と意味の再構築: アート表現は、言葉にならない経験や感情を象徴的な形で表現します。移行期に経験する混沌や不確かさは、しばしば言葉にするのが困難です。色や形は、これらの未分化な感情や経験を象徴化し、具体的なイメージとして捉えることを可能にします。象徴化された表現をセラピストと共に「見る」「感じる」「言葉にする」プロセスを通じて、クライアントは自身の経験に新たな意味を与え、内的な世界を再構築していくことができます。
実践的なアプローチ:色と形による移行期支援
移行期にあるクライアントへのアートセラピー介入では、以下の点を意識することが実践的です。
1. 長期的なアートワークによる変遷の追跡
移行期は時間をかけて進行するため、一度きりのセッションよりも、継続的なアートワークが有効です。
- 「私の移行の旅」シリーズ: 移行期に関連するテーマ(例: 「終わり」「混乱」「新しい始まり」)や、特定の期間(例: 毎週)に焦点を当て、連続して作品を制作してもらいます。
- アートジャーナル: 日々または週ごとに、その時の気分や出来事を色や形、簡単なスケッチで表現するジャーナルを推奨します。これは、セッション外での自己観察や内省を促し、セッション時に共有することで、より詳細なプロセスの追跡が可能になります。
セッションでの進め方:
- 連続作品やジャーナルを一緒に並べて見て、時間経過による色、形、構図、使用素材などの変化を観察します。
- セラピストの声かけ例:
- 「これらの絵を並べて見て、どんな感じがしますか?」
- 「最初の絵と今の絵で、色や形はどのように変わりましたか?その変化について、何か気づくことはありますか?」
- 「この絵のこの部分の色(形)は、あの時のあなたの〇〇という感情と繋がっているように見えますが、いかがでしょう?」
- 「この中立圏の絵からは、定まらない、でも何か動き出そうとしているようなエネルギーを感じますが、これは当時のあなたの状況とどう響き合いますか?」
- 「この最後の絵に現れた明るい色や広がりは、今のあなたの何を表しているように感じますか?」
2. 特定の移行テーマに焦点を当てたアート課題
クライアントが経験している移行の性質に応じて、焦点を絞ったアート課題を提案します。
- 「失ったものと得たもの」の表現: 異なる紙や空間を用い、失ったものに関連する感情やイメージを一方に、新しい状況で得た(あるいは得ようとしている)ものに関連する感情やイメージをもう一方に描いてもらいます。色や形の対比から、内的な葛藤やバランスを読み解きます。
- 「古い橋と新しい道」: 古い状況から新しい状況への移行を、橋や道、あるいはその他の比喩的なイメージ(例: 川を渡る、トンネルを抜ける、脱皮する)として表現してもらいます。道の険しさ、橋の色、渡る乗り物、周囲の風景の色や形などが、移行に対するクライアントの感覚を映し出します。
- 「変化する自己の肖像」: 移行のプロセスを通じて、自己イメージがどのように変化しているかを表現します。抽象的な色や形、あるいは具象的なイメージでも構いません。複数の作品で自己肖像の変化を追うことも有効です。
セッションでの進め方:
- 課題提示後、クライアントが自由に制作する時間を確保します。
- 制作中は、必要に応じて素材の提供や、制作に行き詰まっている場合の軽い声かけ(例: 「どんな色を使ってみたくなりますか?」)を行います。過度な介入は避け、クライアントの内的なプロセスに寄り添います。
- 作品完成後、作品についてクライアント自身の言葉で語ってもらいます。セラピストは、作品の色、形、構図などの視覚的要素に焦点を当てた開かれた質問を行います。
- セラピストの声かけ例:
- 「この絵の中で、あなたが最も惹きつけられる色や形はどれですか?それは何を表しているように感じますか?」
- 「古い橋の色と新しい道の色の違いについて、何か思うことはありますか?」
- 「この自己肖像の色や形は、今のあなたがご自身をどのように感じているかを語っているように見えますか?」
- 「この二つの部分(失ったものと得たもの)の間にある空間や色には、どのような意味があると感じますか?」
3. 表現された色や形の「変容」そのものに焦点を当てた対話
作品の内容だけでなく、表現自体がどのように変化したか、そのプロセスに焦点を当てる対話が重要です。
- 筆致、線の太さ、色の塗り方などの変化: これらの変化は、クライアントのエネルギーレベル、情動の強度、内的なコントロール感覚などを反映します。
- 構図の変化: 開かれた構図から閉じた構図へ、またはその逆の変化は、対外的関係性や内的な引きこもり/外向性の変化を示唆することがあります。
- 使用色の範囲やトーンの変化: パレットが狭まる/広がる、濁った色から鮮やかな色へ、あるいはその逆の変化は、感情的な抑制/解放、エネルギーレベル、抑うつや活気などを反映します。
セッションでの進め方:
- 過去の作品と比較しながら、表現形式そのものの変化に注目します。
- セラピストの声かけ例:
- 「以前の絵はもっと線が力強かったのに、最近の絵は柔らかくなったように見えますね。この線の変化について、何か感じることはありますか?」
- 「この頃の絵は、全体的に色数が少なくて濁った色が多かったですが、最近の絵はもっと鮮やかな色が増えてきたように見えますね。この色の変化は、あなたの中で何が起こっていることを表しているでしょうか?」
- 「これらの絵を並べて見ると、だんだん絵の中に空白が増えていくように感じます。この余白は、あなたにとって何を意味しますか?」
実践上の留意点と応用例
- 評価ツールとしての活用: 連続作品やジャーナルは、クライアントの内的な変容プロセスを経時的に記録する視覚的なツールとしても機能します。これは、介入効果の評価や、次のステップの計画に役立ちます。
- 困難事例への応用:
- 表現そのものが困難なケース: 移行による混乱や抑うつが強い場合、クライアントはアート制作自体にエネルギーを向けられないことがあります。この場合、共同制作(コラージュ素材を選ぶ、絵の具を準備するなど)や、セラピストが描くものに色を塗ってもらうなど、共同で関わる方法が有効です。また、単純な素材(粘土、砂など)を用いたり、身体的な動きを伴うアート活動も考慮できます。
- 複雑な喪失や多重の移行: 一度に複数の移行期を経験しているクライアントの場合、感情や状況が複雑に絡み合います。アートワークでそれぞれの要素(例: 失職の悲しみ、新しい環境への不安、家族関係の変化)を異なる色や形で表現し、それらを一つの画面に配置したり、異なる紙に表現したものを並べたりすることで、内的な混乱を整理し、それぞれの感情と向き合うことを支援します。
結論
移行期は、個人の内的な世界が大きく揺れ動く時期であり、そこに伴う複雑な感情や自己概念の変容を理解し、支援することは臨床実践における重要な課題です。アートセラピーは、言語に頼らない非言語的な表現手段を提供することで、クライアントが自身の内的な変容を視覚化し、探求することを可能にします。
特に、クライアントが描く色や形の時間経過に伴う変化を丁寧に追跡し、その変容そのものに焦点を当てた対話を行うことは、移行期における心理的プロセスの深い理解に繋がります。失われたものへの哀悼、中立圏の混乱と内省、そして新しい始まりに向けた再構築といった各段階で現れるアート表現の特質を捉え、それぞれの段階に応じた適切な声かけやアート課題を提供することで、クライアントの回復力と適応力を高める支援を行うことができます。
アート表現が語る色彩と形態の変容に耳を澄ませることは、臨床心理士にとって、クライアントの内的な旅に伴走するための豊かで実践的な方法論となり得ると言えるでしょう。継続的な探求と実践を通じて、このアプローチをさらに深めていくことが期待されます。